未来のジブンに期待しよう。

人間は変わる。本当に変わる。そして、人間が変わると、周辺の世界も変わる。
そして、どう変わるかは、いまの自分の小さなモノサシでは測れない。だから、未来のジブンに期待して、毎日を過ごそう。
僕が、BICPを創業してから、10年間で学んだことです。
BICPは、本日で第10期を終えます。2015年4月1日創業だから、正確には9年と6ヶ月。正直、10年後の今日のことなんて想像もできず、どちらかというと目の前に見えたマーケティング業界の課題、空白地帯、そして自分の頭打ち感を突破したい思いが強く、勢いで前職を飛び出して起業しました。
僕が感じていた、マーケティング業界の空白地帯というのは、マーケティングプロデュース業のことです。当時は、アドテックやブランドサミットで、マーケティングプロデューサー待望論がちょいちょい語られていました。オーケストレーションとか、コンダクターとか、そんな言われ方もしていたと記憶しています。でも、ここを埋めにいくプレイヤーがいなかった。マーケティングのベスト・イン・クラスをプロデュースする会社。
前職の広告代理店というビジネスモデルの功罪というか、従来の支援会社の商慣習は、一次受けが広告代理店。その先に、さまざまなソリューションベンダーがピラミッド型で紐づく、というのがトラディショナルな暗黙のルールだった気がしています。
クライアントもまるっと広告代理店に任せておけば楽だし、ソリューションベンダーも広告代理店にフロント立ってもらえると安心。そして、ソリューションベンダーが一次受けの広告代理店を飛び越えて直接クライアントにセールスすると、何を勝手にウチのクライアントにコンタクトしてんねん!と怒られたりする感じ。僕も広告代理店時代は、そういったフロントの面子みたいなことを気にしていたような気もします。

BICP創業計画書から
(2014年、創業計画書に書いていたBICPが狙いたいポジション)
10年間で、このトラディショナルな商慣習は随分変わりました。クライアント企業が自ら戦略を描き、専門性を組み合わせたベストなマーケティングチームを組成し、顧客体験を描き、マネジメントする。広告代理店1社では、帯に短し襷に長しで、まるっと任せられる時代ではなくなってきました。別の角度で言えば、広告代理店にとっては苦難の10年、ソリューションベンダーにとっては直接クライアントとコンタクトしてビジネスの機会が大きく広がった10年だったとも言えます。この変化の背景には大きく二つの理由があると思っています。
一つ目は、世の中のデジタル化が進みブランドと顧客がつながり続ける時代になったこと。プロダクトもサービスも関係なくサービス化し、サービスとコミュニケーションの垣根も融解してきた。プロダクトやサービスをつくってからマーケティングコミュニケーションする、というベルトコンベアではなく全てが一連の顧客体験になったということ。これをクライアント企業が自ら描き、プロセスに必要な専門性のあるパートナーを選び、マネジメントすることが課題化されました。
二つ目は、日本企業においてマーケティングの重要性が再認識されるようになったこと。日本の国際競争力が下がった30年、そして人口減少、少子高齢化など国内市場そのものが縮小していく中で、どのように独自の価値を創造しお客様から選ばれる存在になるか、マーケティング思考をクライアント企業が扱うことの重要性とその方法論について闊達に議論されるようになったこと。10年前よりも、マーケターという職業の存在や、P&Gのような外資企業の方法論が着目されるようになったことは、皆さんも認識されていると思います。業界のカンファレンスや、メディア、マーケティングに従事する先人の皆さまのお力のお陰でもあります。
BICPはこのコンテキストにうまくフィットしたような気がします。そして、このポジションを維持するために、創業以来、やらない、と決めて貫いてきたことが二つあります。一つは媒体セールスなどの広告商品に対するコミッションビジネス。もう一つは、広告代理店の下請け。理由はこの二つをマネタイズポイントにすると、クライアントへの伴走にコミットできなくなると考えていたからです。BICPはクライアントを主走者とした、伴走会社です。ここに、売り物のグロスを稼ぐKPIのバイアスがかかると、ニュートラルな伴走ができない引力が働くと考えたからです。
創業時には、大手のほとんどの広告代理店さんから、会社説明に来てくれ、と連絡をいただきました。BICPのようにデジタルの専門性も持ちながら統合プロデュースする会社はきっと使い勝手が良いと思われたんだと思います。申し訳なかったのですが、偉そうにもぜんぶ、お断りしました。そもそも、広告代理店の下請けで生計を立てるなら、わざわざ広告代理店の幹部を辞職してまでBICPを立ち上げた意味がないと考えました。この二つのポリシーをブレずに守り続けたことが、ニッチでありながらBICPが10年続いた大きな理由だと思います。
もちろん、素晴らしい広告代理店のチームが編成されているクライアント企業もたくさんあります。ただ、一般的に広告代理店の中の優れた人材は、広告商品のグロスが大きいクライアントに配置されます。一方、マーケティングの思考というものは、広告商品の扱いの大小に関わらず、誰もが扱えるものです。というか、たとえ予算が少なくても、限られた資源の中で独自のポジションを切る思考にこそ、マーケティングの面白さがあります。これが規模のバイアスによって享受できるできないが生まれる世界は、「マーケティングの力で、人生を楽しめる人を増やす」という、BICPのビジョンと矛盾するのです。(念の為、BICPは、広告代理店やコンサルティング会社などのビッグプレイヤーがいるおかげで、亜種として存在できているので、ちゃんとリスペクトしています。クライアントサイドで協業することは過去も現在も喜んでやっています!)
大手企業も、スタートアップも、広告費が潤沢な企業も、そうでない企業も、たくさんの皆さまにお仕事の機会をいただきました。能力はそこそこかもしれませんが、この売り物を持たない伴走者としての思想に共感いただき、ご相談をいただけたのだと思います。
もう一つ、10年続いた理由。素晴らしい仲間に恵まれすぎたということ。カルチャーフィットというと少し軽い気がしています。マーケティング思考を身につけて、立場を変えて、クライアントの伴走者としてチャレンジしたい、と門を叩いてくれたメンバーたち。BICPなんて名前も聞いたことないけども、転職エージェントに騙されたと思って会ってみな、と薦められるまま、気がついたらぬるぬる入社しちゃったメンバーもいます(ってか、ほとんどそうかも)。
僕たちが仲間を選ぶときに大切にしているのは、順調すぎない人生を歩んできているか、ということです。どんな苦労をしたのか、どんなコンプレックスを持っているのか、キラキラしている人間よりも、腹の中にまだ満たされていない鬱々とした気持ちがあるかを大切にします。僕たちはマーケターであり、人間にとっての価値を考えることがその大きな比重を占めます。人間には綺麗な部分だけではなく、ダークサイドがたくさんあります。表面的な綺麗事だけでなく、内面にそういった葛藤を持っているか。人の痛みを感じることができるか、がとても大切だと思っています。そして、こういう思いを持っている人間は、いつか何かのきっかけで、変わる。マーケターとしてブレイクする瞬間が必ずきます。10年間、そんな伸び代だらけの仲間に支えられまくってきました。
BICPライフの中でも、いい時もあれば、しんどい時もあります。一人ひとりが、成長したり、停滞したり、コンディションが上がったり、下がったりする。でも、振り返ってみると、全員が、一年前の自分とは変わっています。こういう変化を眺めながら、個人も、組織も、共に成長を感じられることをとても嬉しく思っています。
思い返せば、派手さはないけども、無理目の挑戦を続けてきたなあと思います。そもそも、コミッションを完全排除したマーケティングプロデュース業というドメインを立ち上げたこと。広告代理店からの相談を断りまくったこと。そんな事業はこの業界で成り立たないので菅くんの会社、持って3年だね、という先輩もいました。なんとか、10年、持ちました。
関西オフィスを立ち上げる時、関西でフィービジネスを展開するのは難易度が高い、という声もありました。でも、難易度が高いからこそ、ブレイクスルーしたら独自の市場をつくることができる。そこにワクワク感がありました。いま、BICPはたくさんの関西を拠点としたクライアントの皆様に支えられています。
2018年に分社したBICPデータという会社は、ありきたりなマーケティングのデータ活用ではなく「人間中心のデータ活用を社会の基準にする」というめちゃくちゃかっこいいミッションを掲げています。初期はデータプライバシーの領域から、いまはAI時代の企業倫理まで、一般的なマーケデータ領域でスケールしている企業からみたら、何それ美味しいの?儲かるの?って領域にまっしぐらです。だから独自のポジション、つくれていると思います。完全に僕の想定外の成長です 笑。
2023年には、岩手県住田町のオフィスを分社化し、BICPハナレ、という会社をつくりました。住田町は人口5000人を下回った小さな町です。ここからマーケティングの業を起こすって、かなりチャレンジングだと思いますが、誰もやらないから、面白い。はじめた時点でオンリーワンです。BICPデータも、BICPハナレも、僕ではない新しいリーダーが、その世界をつくってくれています。
そして僕はいま、アメリカにだいぶ意識が向いています 笑。2021年1月、パンデミック真っ只中で、ニューヨークオフィスを立ち上げました。関連会社であるデジタルインテリジェンスからMADMAN Monthlyレポート事業を取得し、北米を中心にビジネス、デジタル、ブランド、リテールなどの最新事情に対する独自の考察を、毎月50ページくらいの読みごたえお腹いっぱいなレポートとして日本企業の皆様にお届けしています。
そしていよいよ、日本企業の米国進出のサポートも開始しています。北米の視察、会社設立に必要な弁護士、会計士のコーディネート、オフィス物件探し、就労ビザの取得、マーケティングの前の法人設立段階で必要なところから、サポートいただける現地パートナー体制も整いつつあります。そして、実際にBICPのサポートで北米進出を考えていただけるクライアントが数社、出てきました。これがめちゃくちゃ嬉しい!
米国進出にもニッチがあることがわかりました。いわゆる大手の支援会社はだいたい年間10億円以上のバジェットがないと、進出をサポートしてくれません。スモールスタートから事業を育てたいクライアントの相談窓口がない。これをつくりたい。過去のチャレンジと比較してもかなり難易度高いですが、でも、アメリカやりたいぞー!と叫び続けていると、さまざまな協力者が生まれ、仲間が現れ、それが力になり、仕事の形になっていく様を、まさにいま、リアルタイムでビシビシと感じているところです。
なにが言いたいかというと、未来は予測できないということです。ただ、旗を立てて、一歩踏み出すだけ。そして、意志を持って一歩踏み出すと、そこに新しい仲間が現れる。過去の自分では得られなかった新しいご縁や機会に恵まれる。この、きっかけの一つひとつをテコにして、さらにもう一歩踏み出す。それを続けていると、振り返ったときに、過去の自分ではまったく想像できなかった現在地に到達しているということです。これが、めちゃくちゃ面白い。BICPでは、これを「非計画的・成長」と呼んでいて、経営方針のど真ん中においています。
BICP非計画的・成長
(メンバーと常々話している、BICPが考える非計画的・成長)
10年後のBICPがどうなっているか、正直、まったく予測できません。地図が書けません 笑。 決まっているのは「非計画的・成長」を続ける、ということだけ。10年間で出会ったクライアント、パートナー、支援者の皆さま、従業員のみんな、その一つひとつの数珠繋ぎによって、いまのBICPがあります。あの時の出会い、あの時の勇気、あの時の一歩、すべては瞬間の出来事だったけれども、その時々の点と点がつながって、いまの自分たちが出来上がっている。でも、どの点と、どの点が繋がるかなんて、その瞬間には計算してませんでした。計算できたとしても、そんな人生は面白くない。未来は不確実だから、面白い。
今朝は、恵比寿のオフィスに東京、関西、岩手、九州、全国からグループメンバーが集まって、明日からスタートする第11期の方針説明会を実施しました。
未来のジブンに期待しよう。
僕がメンバーに伝えたメッセージです。この気持ちをもって毎日を過ごしていれば、10年後には誰もが想像できない新しいBICPが出来上がっていると確信しています。仲間の一人ひとりが計算できなかった自分に、必ずたどり着いています。
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(今朝の方針説明会にて「伴走」の概念を熱く語る中村元海執行役員)
 
10年間、小さなBICPに期待をいただきご縁と機会をいただいたすべての皆さまに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。これからもご縁を大切に、勇気を持って、楽しく、一歩一歩、踏み出していきます。
明日からはじまるBICPの次の10年にも、ご期待ください!
written by  Kyoichi Suga