MAD MAN MONTHLY REPORT

Vol.89 水と油の金融とマーケティングのデータは新しい価値探しへの転換点




<4月号の目次>

「デジタルマーケティングとDX」日米企業の重要度の違い
 (前編)デジタルマーケティングは米国では聞かずDXは和製英語
 (後編)企業の年次報告書における単語の登場回数
コラム:プラポリ変更時にはビジネスモデルの再考を

水と油の金融とマーケティングのデータは新しい価値探しへの転換点

 (前編)金融データの「重たい側」に参入できないGoogle

 (後編)Goldman SachsのBaaS参入

水と油の金融とマーケティングのデータは新しい価値探しへの転換点(前編)金融データの「重たい側」に参入できないGoogle



MAD MANレポートで度々登場する「重い側のデータ」と「軽い側のデータ」。重い側のデータとして、「医療・金融・保険・教育」の4分野の区分で定義し、その価値について随時紹介してきた。直近では「医療」に関する事例を重ねて紹介してきたので、本章では前後編で「金融」について解説してみよう。

図1は、東洋経済社が2021年12月に出版した、野村総合研究所の城田真琴氏の著書「エンベデッド・ファイナンスの衝撃―すべての企業は金融サービス企業になる」だ。「エンベデッド(Embedded)」とは、「金融以外のサービス提供企業(非金融企業)が既存サービスに金融サービスを組み込んで金融サービスを提供する」ことを意味する(著者の紹介より)。

「エンベデッド・ファイナンスとはなんぞや」の概念や「Banking-as-a-Service(以下BaaS)とはなんぞや」についての理解は一旦読者に委ねる。この書籍の内容は、直近の実務で発生している「金融サービス業界」の海外事例集(+対比の国内事例集)として「便利な事例本」として仕上がっている。

おそらく著者だけの力ではない野村総合研究所の総力(チーム力)にて情報が集積されているので、「事例が欲しい方」には一読に値する。

(※202110月の動きまでの具体的な企業名と数字の事例を実際の実務に絞った上でイッキにかき集めて出版されている。対照的に、NFTDeFiに代表される未来資産系は除外して編集されている。)

 

 


■「重い側のデータ」と「軽い側のデータ」の価値の差にまだ気づけない

「重い側のデータ」と例えるのは、医療分野であれば人体のDNAや血液、内蔵疾患などの、個人(患者)が主体となって提供するデータだ。これを「インフォームドコンセント」の概念と同様に、事業主(病院、医療企業)と二人三脚でデータと「向き合う」関係を相互で作るという状況を指す(しっかりと契約も結ぶほどだ)。

患者はデータを医療機関に「預ける(任せる)」というような受け身の姿勢ではなく、「互いに関係を作る」能動的な関係性だ。

事業主側は、貴重な個人の人体データを共有してもらわないと、顧客側である患者に対して手が尽くせない。その貴重なデータを預かるからには、その責任は生死に関わる重さを持つ(重い側のデータの意味)。

その責務が重い分、企業行動の一挙一動(例:お医者さん、医薬提供者)の価値は対価も高くなる。まさか「ヤマカン」や「確率で計算したハズレがあるかも」の意図は微塵もなく、慎重な計らいと意思で埋め尽くされる。

同様に、本章のテーマである「金融(決済・資産管理・融資・クレジットスコアなど)」も医療に引けを取らないほど、その企業は「金融資産を預かる・間違いなく実行する・秘密を厳守する」という重さを持つ。

後述する金融の「エンベデッド(組込型)」、「BaaS型」のAPI開発であっても、採用する事業会社(例:航空業や流通小売業)は政府から「銀行代理業」の許可を申請し、基準をクリアして規制の許可を得る必要がある(登録程度ではない水準だ)。

■「重い側のデータ」に対して「軽い側のデータ」と例える背景は身勝手な推量

一方で「軽い側のデータ」と例える事業の背景は、GoogleやFacebookなどのCookie情報に代表されるマーケティング分野での「推量」データを集める事業指針や、その「推量拡張」のためにサードパーティから「買い付ける」データ(例:Cookieデータ)の様子を指す(図3参照)。

 

 

具体的に「集めるデータ」とは、「視聴データ」、「閲覧履歴(Cookie含む)」、「購買履歴」、「位置情報」、「メールアドレス・住所・氏名・生年月日」、「アンケート」など。数学的な相関や推量を用いてセグメントの分析をおこない、「ターゲティング」や「当てる精度を上げる」と称する事業手法だ。

図3のイメージ図は、一般消費者の生活における身近な「ワタシ」のデータを取り巻く世界として作ってみた。これらのデータのなかには、GDPR/CCPAの登場までは事業主側も無意識に、データ保有者であるユーザーから「無断でネット上で覗き見し、せっせとかき集めていた」データも含まれる。

これは医療や金融側の「生死、生涯にまつわる」重要なデータの扱いと比較して、「相性の違い(毛並みの違い)」を感じておきたい。

■医療従事者や金融機関が見向きもしない顧客データのマーケティング活用

顧客の貴重なデータをお預かりする「重いデータ側」の医療や金融産業の人たちからすると、推量を元にした「軽い側のデータ」の合わせて、当てに行くようなマーケティング手法や事業領域は一切興味がない。

かなり乱暴に言い切ったが、まずはこの極端な立ち位置から理解を深めた方が話が早い。これは善悪の議論ではなく、手を付けるかどうかで考えてみる。

「重い側のデータ」産業の人たちから見れば、「軽い側のデータ」は、責任の重みの違いや、医療や金融での法律での規制や禁じごと(モラル)を含めて「異次元」である。「ゆがめて触る(活用する)のは規約やモラルに反するだろう」という見識が染み付いている産業であり、データのマーケティング利活用の基軸世界とは別の事業価値観を持つ。

別世界と称した一例として、図1の著書のなかに「デジタルマーケティング」の単語が何回登場するか数えてみた。結果は、案の定ゼロであった。ちなみに、「エンベデッド(ファイナンス)」の単語は131回登場する。

■既存のターゲティング手法である「軽いデータ側」の金融業界での延命は難しい

興味がないと言われた「軽いデータ側」の産業から見ると、「重いデータ側」にこそ「紙芝居ビジネスモデルにおける飴玉」のヒントが満載に見える。

筆者も自重しつつお伝えするのは、マーケティング的な儲け幅を「延長」したいがために「重いデータ側」に軽く片足をつっこむのは、お行儀が悪い。

マーケティング発想での「延長」の事業発想ではなく、「新しい価値探しの転換点」の思考のキッカケにするという本章の表題こそが結論だ。事業領域は無限に大きく広がっている。発想を転換するヒントとして、以下を続ける。

 ■マーケティングデータの価値は医療データの1万分の1、金融データの100分の1以下

医療データと金融データの「単価」を例にして、マーケティングデータなどと比較したのが図4だ。

このデータの重みによる桁の違いは「市場規模」と「採算性に対するリスク」にも跳ね返る。まったく異質の「軽い側のデータ」を無理やり「重い側のデータ」と合わせる発想を「水と油」と表現した。

市場規模が非常に小さい事業(実入りが少ない=価値も少ない)を起点とした手漕ぎボートで、可能性が広がる太平洋のような「医療・金融・保険・教育」という大海に飛び込み漕ぎ出す意気込みならば、いま一度海図を確かめ、ロマンに向けた船の改造を試みよう。

 

 

図4は2018年時点での公開データだが、ダークウェブ上で取引されているデータの1人あたりの相場だ。公の情報ではないのでその価格に対する信用精度は低いが、大小比較の感覚としてうなずける。

図4の上部にある医療情報の1人当り約30,000円の価値と比較して、一般的に個人情報として認知されている「名前・住所・連絡先米国の医療や金融、保」のようなPII(Personal Identifiable Information=個人情報)は約3円と、4桁(1万分の1)も開きがある。

マクロ市場全体で俯瞰しても、米国の医療や金融・保険の産業は500兆円級とされる($4〜5 trillion)。その一方で、米国のマーケティング・コミュニケーション(Advertising含む)の領域は30兆円規模($250 billion)という桁の開きだ。

上記のダークウェブ市場の単価を使って「桶屋が儲かる式」で考えてみると、広告やマーケティングのデータ市場とは「医療データの1万分の1の単価のマーケティングデータを1,000回転させて、10分の1の市場規模の大きさを作り上げている市場」とも計算できる(なんとなく「CPMの単位」が1,000件で1単位とする仕組みと辻褄が合う…)。

■軽い側の代表格であるGoogleは重い側のBaaSには入れなかった

もう一つ事例を紹介しよう。軽い側のデータが重い側のデータ産業との相性が合わないGoogleの事例だ。図3は日本経済新聞で報道された2021年と2022年の2件の記事を並べた。この2つの記事にはリンクする糸が見てとれる・・・


続きはMAD MANレポートVol.89にて

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